いじめ、リストラ克服・・・41歳 晴れて看護師に

執筆者:看護大学・専門学校受験ナビ編集部

お問い合わせ

いじめ、不登校、リストラを乗り越えて、 41歳で看護師になられた方の記事をご紹介します(2013年4月10日付、読売新聞)。 看護師を目指している社会人の方はもちろん、
現役の高校生の方にとっても興味深い記事だと思います。以下、読売新聞からの引用です。
________________________________________________

  小中学校でいじめに遭い、高校で不登校になった経験のある富士見市出身の柴田さよ子さん(41)が正看護師の国家資格を取り、4月から都内の病院の精神科で看護師として働き始めた。

 いじめに耐えきれず自殺を考えたこともあるが、「生きていれば良いこともある。今度は病気で苦しむ人たちの心を癒やす存在になりたい」と話している。

 柴田さんは小、中学校時代に同級生から嫌がらせを受け友人とうまくコミュニケーションができなくなり、県立高校も不登校となって退学した。

 飲食店や工場勤務など職を転々とした。30歳の時には派遣社員として働いていた部品工場をリストラされた。そんな時に幼なじみが結婚した後に子育てをしながら看護学校に通っている姿を見て自分も看護師を目指すことを決意した。

 34歳で県立朝霞高定時制に入り、4年間の学校生活を送った。入学当時に32人がいたクラスでは最年長。年下の同級生の相談役となった。昼間は看護助手などをして働き、午後5時25分から9時まで授業を受けた。

 2008年にはそうした経験を「全国高校定時制通信制生徒生活体験発表大会」で語り、厚生労働大臣賞を受賞。10年春に都立板橋看護専門学校に38歳で入学した。夜間に病院を清掃するアルバイトをしながら3年間の学生生活を続けた。

 患者の話を聞いて病状を分析して適切な看護方法を考えるため、午前0時過ぎまで自習した後、午前4時に起きて勉強を再開することもあった。

 医療現場で使う専門用語などを覚える際は若い人のように1回聞いただけでは理解できないことも多かったが、40歳前後から40歳代後半の仲間6、7人で協力し合った。「互いに質問をぶつけ合って学び、乗り切ることができた」と振り返る。

 朝霞高で担任を務めた内田章教諭(現・県立川越工業高校)は「努力すれば何でもできることを証明してくれた。途中で挫折しても、あきらめることなく挑戦し続けて夢を実現した先輩がいることを今教えている生徒たちに伝えていきたい」と述べた。

 柴田さんは今、挫折しても前向きに生きることで強くなれたと実感している。「人生はやり直せる。悩みを抱えた子供たちは命を粗末にしないでほしい」と訴えている。

2013年4月10日  読売新聞
(引用終わり)
________________________________________________________________________________

看護師になろうと決めてから34歳で定時制高校に入学して4年間、 さらに看護学校で3年間、 計7年間学校に通い、 しかも昼間や夜間に働きながら勉強するというハードな生活を送りながらも 「看護師になる」という夢をあきらめなかった柴田さん。 記事には書かれていないような辛いこと・苦しいことがたくさんあったとは思いますが、 看護師になるという柴田さんの思いの強さが、困難を乗り越えさせたのだと思います。 どんなに苦しい過去があろうとも、 人は夢や目標を持つことで変われることを証明してくれた気がします。 同時に感じたことは、夢や目標を持っても途中であきらめてしまうとしたら、 それは自分が苦労をして叶えたい程の夢・目標ではない可能性があるということです。 自分が本当にやりたいことでなければ、 つらいことがあったときに投げ出してしまうのは、ある意味当然のことです。 そこそこ興味がある程度では、根性だけで耐え抜き、夢や目標を実現することはなかなか難しいことです。

夢や目標をあきらめたときに、自分自身の根性のなさ・精神力の弱さを感じてしまうこともあります。そんなときには、自分を責めるのではなく、自分が目指した夢や目標が本当に自分が叶えたいことなのかをもう一度考え直してみるのもいいのではないでしょうか。やる気がでないときには、「今やっていることは、心から自分がやりたいことなのか」と自分に問いかけてみてるのも現状を変える一つの手段にはなるはずです。さまざまな困難を乗り越えてきた柴田さんは、きっと「いい看護」ができると思います。 看護師としてご活躍されることを心から願っています。

「看護大学・専門学校受験ナビ」管理人

 

ページの先頭へ